2003年バルセロナの夏 写真クリックで拡大表示されます


 いつまでも梅雨空の今年ですが、一足先にバルセロナで暑い夏を体験してきました。
向こうの天気はというと地中海から昇ってくる梅雨雲というのは無くてサンサンと太陽が夜8時くらいまであったような記憶が・・・
 
 今回の音楽の旅は相棒、高谷秀司とのデュオ・ユニットを発展させてSOUL MATESというバンド形式になりました。メンバーは流動的ではありますが、今回はタブラ奏者の立岩潤三君が加わってのトリオ編成でした。
 前回バルセロナに行ったのは12月だったんですが、その時は北回りの飛行機はほとんど夜だった。今回はその逆でほとんど飛行機は行きも帰りも太陽が照っていた。地球は傾きながら太陽を回っているんだということを今さらながら実感。今回はアムステルダムで乗り換えですが、そこまで10時間くらい、その後バルセロナまで2時間という長い旅。
今水泳の舞台になっている所へ行くのにはかなりの時間を要します。余談ですが向こうは時差が日本から遅れること7時間。夜型人間のオレと違って選手達の時差解消はたいへんでしょうね。
 
 今回持ち込んだ楽器はタコマのC1(ビレッジで売っていたもの)というアコギで高谷に言わせるとテイラーより音が太いそうなので購入することに。ただマーチンやギブソンを愛する人達から見ると音色がまったくちがう感じです。プリアンプを介してPAから出る音は確かに太い。
 この楽器はへんなところにサウンド・ホールがありますが、良く鳴る楽器です。
 いや、でした!!
 
 というのもバルセロナに向かう1週間前、タコマをソフトケースに入れてギター好きの仲間に見せるために車に入れておいた。直射日光があたるようなところには習性で置いてはいなかった。なのに、いざケースから出してみるとオレの長いギター人生からしてもここまで壊れたギターは見た事ないという変わり果てた姿にがっかり。ぜひ、
図を参照して下さい。リペアの人に言わせるとこりゃ捨てた方が安いかもね。と言われそうなひどいありさまだった。1週間後にはバルセロナ持って行く事をあきらめようとしていたら高谷があのギターじゃなきゃ嫌だと言い出した。バルセロナで捨ててくる覚悟でオレが修理しようと決めて木工ボンドと万力及びヒモで締め上げて、割れた表板の裏側に繋ぎ止めの薄くて小さな板を張り付けてようやく3枚目の写真になった。飛行機の乱暴な扱い外国間での急激な気候の変化にもメゲずに今こうしてあるという事が奇跡のようでもありますが!

 前回、買えなかったスペイン製のナイロンギター楽器を物色ということで高谷に付き合ってもらい2件の大きな楽器屋さんをはしごした。


ニーズに合った3,4本の中から、グリップはカマボコのように太い楽器でマイクがピエゾとコンデンサーマイクのブレンダー付のフィッシュ・マンが装着。ボディはかなり薄いが鳴りが良いとの高谷の太鼓判をもらったアルハンブラというオレにしたら高級楽器を手に入れてきました。この楽器は指板はエボニー、ボディはシカモアって店員さんが言ってたな。コンデンサー部分のマイクはモニターにハウってしまいライブでは使えませんでしたがかなり良い音色している今後が楽しみな楽器です。 
 
 バルセロナではJAZZ ROOMというライブハウスで計7回演奏してきました。一番受けた曲はなんと「竹田の子守唄」!高谷の声とオレの声のハモリなんて想像しただけでも卒倒ものだと思いますが、メロディーが東洋ラインなのでスペインの方々には受けたのではと思いますが帰り際にジャズ・ルームのスタッフの連中がこのメロディーを口ずさんでいたことがインパクトがあった証拠かななどと思っています。

 毎日昼飯はワインをたくさんと盛り沢山の食事で楽しむ事ができました。これってビレッジでいうところの夕食くらいの量でしたネ。ますます太ってしまった。

 今回帰りはアムステルダム経由ということで市内を少々見物しました。
水路がいたるところにあって水の町という印象に加えポルノ・ショップでは鼻の下を伸ばし、食べ物ではやはりチーズだろうという事でチーズを買い込んでまいりました。

 バルセロナから帰ってきてから早くも2週間ですが、未だに10時就寝4時起床という生活が続いております。

 P.S それにしてもアントニオ・ガウディの建築物はすごかった!