2002年NAMMShow への遥か遠い道---No3

 しかしこの話も随分長くなってしまった。 オレとしてはNAMM Show 会場に辿りつくだけでもうヘトヘトだったのに高谷は広い会場にもかかわらず、、我々のブースからは程遠いギブソン社のブースに出かけたりしている。ギブソン社のモニターという事で販売マネージャーと会ったりしていたそうだ。トイレへ行くのにも往復300m,タバコを吸うのにもそのくらいか、それ以上歩く。カリフォルニアでは屋内でタバコを吸うことは固く禁じられているそうだ。自由の国アメリカだというのに法律でどんどん愛煙家は、片隅に追いやれらている。約束時間に遅れること2時間。お昼過ぎに会場に到着した事もありあっという間に夕方、そろそろ食事という感じでアナハイムの会場をあとにする。

 食事の前にハリウッドにある日本人のギター職人Kenny 須貝さんが経営しているPERFORMANCE Guitarに立ち寄った。田口製作所の田口さんの友人だそうだ。8時だというのに若手スタッフ全員がまだ店内にいて、ギターが出来上がる過程、アメリカでしか入手できないパーツやエフェクーなどについて詳しい説明を伺った。その後は須貝さんの案内で安くて美味しいというスシバーに連れて行っていただいた。おかげで一人前1,000位で刺身やビフテキ、寿司がセットになっているボリュームたっぷりの夕御飯にありついた。
 ギター職人としての須貝さんはもともとフェンダーに在籍されており現ショップではジョー・ウォルシュや故フランク・ザッパなどのギターメンテもしてるとの事だった。また、自家用飛行機を持ってるという方で日本からロスまでの飛行経験もあるすごい方だったのだ。夕食時のビールも手伝い即就寝。
 
また翌日からはアランホールズワースをマネージメントしていて今回のタグチ・ブース出店に際していろいろとコーディネートして下さった矢田さんが迎えに来て下さるようになった。バス・ハイクをしてきた我々を見るに見兼ねての事だと思うが。車中で話しを伺ってたら。矢田さんの人脈もまた凄くて故マイルスデイビスなどもマネージメントしたことがあるというから驚きだ。
 出店ブースでは矢田さんを訪ねてクラプトンやFour Playのベーシストのネーザン・イーストがいきなりオレの前に表れたのにもビックリ。ついでにベースを弾いていってくれたらもっと最高だったんだけど、さすがにそれはなかった。
 他にジェームス・テーラーのベーシスト、ベイクド・ポテトでもマイケル・ランドーと好演していた(名前忘れた)人も来てくれたりした。

 我々の演奏という意味ではもともとアコギプレーが不得手なオレにとって嬉しいギターをタハラ楽器の方が届けてくれた。VARITAというネーミングのギターでエレガットとエレアコの2台だ。ちょうどテレキャスに似た形で中が空洞でエレキギターの感覚で弾けるギターだった。ネックまわりがスムースに処理してあり、軽量で音色も良かったので即使用することにした。PERFORMANCE の須貝さんもハワイアン・コアウッドとフレットが特殊ステンレス、ブリッジにはピエゾ・ピックアップが組み込まれたオリジナル・ギターを持ってきてくれた。サスティンがとても効いた音色良しアーミングの狂い無いという抜群のギターだ。それがまた弾き易くてオレの持っていったオベーションの役目は無事終えた。これらのギターが届いてからはずっとそれらの楽器でジャズのスタンダード・ナンバーや高谷のオリジナル・ソングを弾いていた。
 
須貝さんがブースに来ていた時ウォーレンというすごい色男が子供づれでやってきた。話しをしてるととても日本人的な人で一緒にブギーでもやろうと言って狭いブースの中で汗をかいてとても盛上がった。彼も須貝さんの顧客だそうだ。その後、ギター雑誌の取材者が彼の写真を撮りにきてラットというバンドのウォーレン・マルティニという人という事がようやくわかった。その後は近くのブースでスラップ?スタイルでギターを弾いていた凄腕女性ギタリストのギプソンさんという方と仲良くなったり、名前がよく聴きとれなかった白人アコギ・プレーヤーやら、キソ・ギターでデモ・プレイをしていたWネックのギタリストが両手を駆使して(タッピングなど)弾きたおしたのに圧倒されたり、高谷がL.R バッグスというピック・アップメーカーのブースでとても受けてオーナーからピックアップをもらってきたりして喜んだ事など目の回るようなNAMMショーの日々は終わった。
 
 ロス最後の夜は竹田さんにロスの名所を案内していただく事になった。最初は黒人が多く住んでるところで毎週日曜日の夜行われるジャズのジャムセッション会場に連れていってもらった。お店に入った途端演奏レヴェルの高さに圧倒された。「ジャムとは言え立派なライブじゃない!」というのが第一印象。リズムの人達はあまり入れ替わらず。(その夜のホストバンドなのかもしれない?)10人くらいいた管楽器系の人達は順番待ちで演奏を行い、女性歌手も入れ替わりで歌っていた。ある女性は曲が始まるとキーが高いとか低いとか言ってイントロ途中でやめたりして、モメてたけど素晴しい熱唱だった。その後もモメて笑わしてたから彼女のジョークだったのかもしれない。管楽器奏者達は老いも若きもといった綿々で年寄りが若い者にジャズの唄い方を実地で教え、また一緒になって楽しんでるといった感じをもった。そんな良いライブが目の前に展開されているにもかかわらず時差ボケなのかオレはウトウトしだした。
 そんなオレを気づかってか竹田さんは1時間位でそこを後にして、車中でハリウッド見物を楽しむ事にしてくれた。ビバリーヒルズあたりも少々走っていただき、深夜に今ツアー最初にして最後のスーパー・マーケットへ連れて行ってもらった。ホテルの周りはコンビニ見あたらなかったので、初日にこういう所へ来てればなあ・・などと反省してもはじまらない。スーパーで酒やらポテト・チップス、ソーセージなど買い漁り明け方まで、高谷と思う存分酒を飲みおつまみ食べて早朝にメキシコ調のホテルを出発。今度こそバンクーバーで乗り換えがちゃんとできますようにと祈りながら旅行社の車に乗る。

 バンクーバーからの機内では新作映画らしきものをうつらうつら眺めていると。最後尾の客席からヘルプミー、助けてという若者の大きな叫び声が起こった。飛行機の最後列2人掛けのシートの端に彼がいて白人のレスラーのような大男2人に取り押さえられてる。こりゃ同じ日本人として助けなければと思い立ち上がろうとしたらエアーカナダ機の客室乗務員が日本語で「心配ございません。」などと言った。その後もこの騒ぎは何度も続き、ほんとになんでもないのかな?などと思った。
 これも最初にバンクーバーに向かう時、騒がしくして人を眠らせなかった事の報いと思い成田まで映画と騒ぎに耳を傾けるしかなかった。